赤間硯

赤間硯
赤間硯は鎌倉時代の初めに、鶴岡八幡宮に奉納されたという記録があります。江戸時代中期には各地で売り広められました。
毛利氏が藩を治めていた時代には、原料となる石が採れる山は御止山(おとめやま)として一般には入山を禁じられ、参勤交代の贈り物等として硯が必要になると、藩主の命令で採掘がされました。こうした事情から、長州藩の名産として簡単に手に入れることのできないものでした。

概要

工芸品名 赤間硯
よみがな あかますずり
工芸品の分類 文具
主な製品
主要製造地域 下関市、宇部市
指定年月日 昭和51年12月15日

特徴

赤間石は材質が硬く、緻密で、石眼や美しい文様があり、しかも粘りがあるため細工がしやすく、硯石として優れた条件を持っています。また、墨を削る歯の役割を果たす「鋒鋩(ほうぼう)」がみっしりと立っているので、よく墨を磨き、墨の発色が良く、早く墨がすれ、さらっとのびの良い墨汁が得られます。

作り方

硯に適した原石は、厚さ1メートル程度の地層になっているため、層に沿って斜めに穴を掘って採石します。採石した原石は選別して、縁たて、荒彫、浮かし彫、加飾彫り、仕上げ彫、磨き、漆による仕上げ等、十数工程を経て硯となります。 この作業工程や技術、技法は、100年を経た現在もほとんど変わらず、幅2ミリから10ミリ程度の「のみ」を使い、師匠や親から受け継がれた技術によって彫られています。