赤津焼

赤津焼
赤津焼の始まりは、奈良時代(700年頃)に焼かれていた須恵器という土器にまで遡り、江戸時代初期に現在ある伝統的技術・技法や名称が確立しました。
桃山時代から江戸時代初期にかけて、志野、織部、黄瀬戸(きぜと)、御深井(おふけ)等、各種釉薬(ゆうやく)の技法が確立されました。尾張徳川家の御用窯として栄え、現在まで続いています。

概要

工芸品名 赤津焼
よみがな あかづやき
工芸品の分類 陶磁器
主な製品 茶器、花器、飲食器
主要製造地域 瀬戸市
指定年月日 昭和52年3月30日

特徴

7種の釉薬と、素地(きじ)にへらで彫って模様を付ける「へら彫り」、型で押して模様を付ける「印花」、素地の表面が軟らかいうちに、竹櫛や金櫛を使って平行線、波形、渦巻、点線等の模様を描く「櫛目」、朝鮮から伝えられた技法で、濃いネズミ色の地に白い土で菊の花の模様等を表した「三島手」等の12種類の技法があります。これらの技法を駆使して、桃山時代から伝わる鉄絵を描いています。主に作られているのは茶道具や生け花の道具、割烹食器で、手作りの高級品として専門家に高く評価されています。

作り方

ろくろ、たたら、手ひねりによって形を作ります。ろくろは、ろくろに良く練った粘土をのせ、回転させながら手で形を作る技法で、昔から土ねり3年、ろくろ10年と言われている奥の深い技術です。たたらは、粘土を一定の厚みの板状に切り、それに色々な型(木製、陶磁器製、石膏製)を使って形を作ります。手ひねりは陶土を手で紐にしたり、袋にしたりして、動物、花瓶等、色々なものを作る技法です。