越後与板打刃物
戦国時代、上杉謙信の家臣が、16世紀の後半に春日山より刀作り職人を招き、打刃物を作ったのが始まりです。
江戸時代中期には、与板の大工道具は「土肥のみ」、または、「兵部のみ」として知られるようになりました。
明治時代に入ると刀作り職人が鉋の製造を始め、その鉋は全国に知られるようになりました。越後与板打刃物は、400年余りの伝統的技術・技法に培われた刃物です。
概要
工芸品名 |
越後与板打刃物 |
よみがな |
えちごよいたうちはもの |
工芸品の分類 |
金工品 |
主な製品 |
のみ、鉋(かんな)、まさかり、ちょうな、彫刻刀、切り出し、やり鉋 |
主要製造地域 |
長岡市 |
指定年月日 |
昭和61年3月12日 |
特徴
与板の打刃物は、火作り鍛造技法によるもので、その切れ味、使いやすさに定評があります。
作り方
鋼、地鉄を所定の寸法にのばし、地鉄に鋼をのせ、丹念に赤くなるまで熱したところで叩いて、叩き型を作り、鋼の組織を良くするために、火に当てて軟らかくする焼き鈍し(やきなまし)をします。そして地肌を美しくするために磨き、ついで焼き入れ、焼き戻しと刃物の命とも言われる工程を行い、最後に研ぎ、台または柄に仕込んで完成品となります。