広島仏壇
広島は、古くから浄土真宗が盛んな土地柄でした。江戸時代初期に、紀州から移り住んだ飾り金具細工師や桧物細工師(ひものさいくし)、塗師(ぬし)等の技術をもととし、その後、敦高(とんこう)という僧が京都、大阪に出向いて、仏壇・仏具の高度な製造技術を学んで帰ったことで、広島仏壇の技術・技法が確立されました。
明治時代に入り、瀬戸内海の水運の便を利用して全国に出荷されましたが、第二次世界大戦で壊滅的打撃を受けました。戦後、過去の伝統を受け継ぎ復活しました。
概要
工芸品名 |
広島仏壇 |
よみがな |
ひろしまぶつだん |
工芸品の分類 |
仏壇・仏具 |
主な製品 |
金仏壇 |
主要製造地域 |
広島市、三原市、福山市、府中市、三次市他 |
指定年月日 |
昭和53年2月6日 |
特徴
広島仏壇は下地材料として、広島名産である牡蠣(かき)の殻を細かく砕いたものを使用した胡粉下地(ごふんしたじ)を使います。上塗りの「立て塗」の技術には定評があり、金箔押しの技術にも優れています。形式は大阪型と似ています。
作り方
製作工程は、分業です。木地部門、宮殿(くうでん)部門、彫刻部門、金具部門、蒔絵部門、漆塗部門の各職に分かれています。木地部門は、原材料に、スギ、マツ、ヒノキまたは、これらと同等の材料を用い、ほぞ組みによる組立式で作ります。宮殿部門は、ます組みによって作ります。漆塗部門は、下地から上塗り、そして金箔押しまでを担当します。各部門で作られたものを仕立てて、一本の仏壇にします。