益子焼

益子焼
19世紀の中頃、笠間焼の影響を受けて始まりました。初期の益子焼は、藩の援助を受けて日用品を焼いており、そうして作られたものは江戸の台所で使われていました。
大正13年から作家活動を始めた浜田庄司は益子に住む陶工達に大きな影響を与えました。そこから、現在、益子焼として親しまれている食卓用品や花を生ける器等が作られるようになりました。益子の良質な陶土を使って、白化粧、刷毛目(はけめ)等の伝統的な技法で力強い作品が大量に作り出されています。

概要

工芸品名 益子焼
よみがな ましこやき
工芸品の分類 陶磁器
主な製品 食器、花器類
主要製造地域 真岡市、芳賀郡益子町、市貝町、茂木町
指定年月日 昭和54年8月3日

特徴

伝統的な土地の素材である益子でとれる陶土と、釉薬(ゆうやく)等の技術が結び付いて生まれた、落ち着いた艶のある素朴な焼き物です。

作り方

ろくろ、型おこし、手ひねりといった方法で形を作り出します。形が出来たところに、白い泥を筆の刷毛目を活かして塗る刷毛目という技法や、鉋(かんな)で削って凹凸を付ける飛び鉋という技法を使って、模様を付けます。そして絵付けは、青色を出す呉須、黒から茶色の色味を出す鉄砂、銅等を使って行われます。また、益子焼には多くの釉薬があります。柿釉や黒釉、藁(ワラ)の灰、木の灰、糠灰等を使った糠白釉(ぬかじろゆう)等により、独特の味わいを出しています。